古英語の caru, cearu「悲しみ、憂鬱、悲嘆」、また「心の重荷;真剣な精神的注意」、後期古英語では「悪の予感や多くの重荷の重さによる懸念、心配」をも意味し、これは原始ゲルマン語の *karō「悲しみ、ケア、嘆き」から来ており(古サクソン語の kara「悲しみ」、古高ドイツ語の chara「嘆き、悲しみ」、ゴート語の kara「悲しみ、困難、ケア」、ドイツ語の Karfreitag「聖金曜日」も同源)、care (v.) を参照。
「安全や保護を目的とした監視、注意、配慮」の意味は1400年頃から証明されており、1840年の宛名での care of の意味でこの感覚が見られる。「関心のある対象や問題」の意味は1580年代から。take care of「手に取る、行う」は1580年代からで、take care「注意する」も1580年代から。
The primary sense is that of inward grief, and the word is not connected, either in sense or form, with L. cura, care, of which the primary sense is pains or trouble bestowed upon something. [Century Dictionary]
主な感覚は内面的な悲しみであり、この言葉は意味や形においてもラテン語の cura(主に何かに対して注がれる苦痛や問題を意味する)とは関係がない。[Century Dictionary]