1844年、「祖国への献身、国家の精神や願望、国家の統一や独立、繁栄への欲求」を指す言葉として使われ始めました。これは、nationalist(ナショナリスト)と-ism(イズム)を組み合わせたものです。また、フランス語のnationalisme(ナショナリズム)からの影響を受けた用法もあります。最初は「神による国々の選びの教義」という宗教的な意味で使われていました(1836年)。その後、「国の産業の国有化を提唱する教義」という意味でも使われるようになりました(1892年)。以前は「祖国への献身や強い愛着」を表す言葉としてnationality(ナショナリティ)が使われていました(1772年)。
To place the redemptive work of the Christian Faith in social affairs in its proper setting, it is necessary to have clearly in mind at the outset that the consciousness of "the nation" as the social unit is a very recent and contingent experience. It belongs to a limited historical period and is bound up with certain specific happenings, theories of society and attitudes to life as a whole. [Vigo A. Demant, "God, Man and Society"]
キリスト教の救済の働きを社会問題において適切に位置づけるためには、「国」という社会単位の意識が非常に最近の、そして偶発的な経験であることを最初に明確に理解する必要があります。それは限られた歴史的な時期に属し、特定の出来事や社会の理論、そして人生全体に対する態度と結びついています。[ヴィゴ・A・デマン、「神、人、社会」]