「文法的な連続性の欠如や、文の途中での構文の変更」は、1706年にラテン語化されたギリシャ語の anakoluthon から来ています。この言葉は中性形の anakolouthos から派生しており、「つながりのない」という意味です。これは an-(「否定」を表す、an- (1) を参照)と、akolouthos(「従う」という意味)から成り立っています。さらに、akolouthos は接頭辞 a-(結合や類似を表す、a- (3) を参照)と keleuthos(「道、路、軌道、進路、旅」を意味する言葉)から構成されていますが、keleuthos の語源は不明です。この言葉が比喩として使われる場合、特に感情が高まりすぎて話し手が文の始まりを忘れてしまう様子を示すときに、適切さと力強さを持つとされています [Century Dictionary]。関連語としては Anacoluthic があります。
Anacoluthon は文法的な欠陥とされますが、自然に生まれるか模倣されるかによっては、修辞的な美しさを持つこともあります。例えば、「もしあなたがその人なら—しかし、ああ!どれほど堕ちたことか!」や、「人生のすべての形を見て、その善悪を完全に理解した者が—いや!賢者が天が定めた以上に長生きを望むことは、この世には何もない。」などです。これらは、感情によって文が途切れる例です。[James R. Boyd, "Elements of English Composition," 1874]