1570年代に「こっそりと見る」という意味で使われるようになったこの言葉は、おそらく以前の glout(「じっと見る、にらむ、むっつりする、ふくれっ面をする」)の変種で、15世紀中頃に見られます。これは古ノルド語の glotta(「歯を見せて冷笑する、にやりと笑う」)、スウェーデンの方言で「覗き見る」を意味する glotta、あるいは中高ドイツ語の glotzen(「じっと見る、ぽかんと見る」)など、スカンジナビア語やドイツ語の影響を受けたものと考えられています。これらはすべて、印欧語根 *ghel- (2)(「輝く」)から派生したゲルマン語の *gl- 系の言葉で、glower(「にらむ」)もその一例です。
ジョンソンはこの言葉を認識しておらず、『オックスフォード英語辞典』では「おそらく16世紀に何らかの方言から取り入れられた」と記されています。
「悪意のある満足感を持って見る、邪悪な欲望を満たすものを楽しげに考える」という意味は1748年に記録されました。関連語として、Gloated(過去形)、gloating(現在分詞)があります。
名詞としては1640年代に「横目で見ること」を意味する形で使われ始め、1899年には「ご満悦に見る行為」を指すようになりました。
Whosoever attempteth anything for the publike ... the same setteth himselfe upon a stage to be glouted upon by every evil eye. [translators' "note to the reader" in the 1611 King James Bible]
公共のために何かを試みる者は、悪意のある目にじろじろ見られるために舞台に立つようなものだ。 [1611年版『キング・ジェームズ・バイブル』の翻訳者による「読者への注記」]
Gloat has now almost lost the meaning of looking with the natural eye, and has gone over into the meaning of mental attention ; in either sense it means looking with ardor or even rapture, often the delight of possession, as when the miser gloats over his wealth. [Century Dictionary]
Gloat はほとんど自然な視覚で見るという意味を失い、精神的な注意を向けることを意味するようになりました。どちらの意味でも、熱心にあるいは夢中で見ること、しばしば所有の喜びを表し、たとえば守銭奴が自分の富を gloats(自慢げに見つめる)する様子を指します。[『センチュリー辞典』]