1520年代に「原則の簡潔な表現」として使われるようになりました。特に「ヒポクラテスの格言」に関連して用いられました。これはフランス語の aphorisme(古フランス語の aufforisme から修正されたもの、14世紀)に由来し、さらに遅いラテン語の aphorismus、そして古代ギリシャ語の aphorismos「定義;短くて鋭い文」にさかのぼります。このギリシャ語は aphorizein「区別する、分ける」から来ており、apo「から」(apo-を参照)と horizein「境界を定める」(horizonを参照)に分解できます。
一般的には「普遍的な真理を含む短くて鋭い表現」という意味で、1580年代から英語で使われるようになりました。axiom(公理)とは自己明白な真理の表現であり、epigram(詩的格言)は格言に似ていますが、普遍的な真理を欠いています。Maxim(格言)や saying(言葉)は aphorism の同義語として使われることがありますが、格言は実用的なものが多く、言葉はより一般的で著者名が付けられることが多いです。
[F]or aphorisms, except they should be ridiculous, cannot be made but of the pith and heart of sciences ; for discourse of illustration is cut off ; recitals of examples are cut off ; discourse of connexion and order is cut off ; descriptions of practice are cut off. So there remaineth nothing to fill the aphorisms but some good quantity of observation : and therefore no man can suffice, nor in reason will attempt, to write aphorisms, but he that is sound and grounded. [Francis Bacon, "The Advancement of Learning," 1605]
[格言は、もしばかげていなければ、科学の本質と核心からしか生まれない。なぜなら、例を挙げるための議論は省かれ、実例の列挙も省かれ、関連性や秩序についての説明も省かれ、実践の記述も省かれるからだ。したがって、格言を満たすためには、十分な観察が必要であり、健全でしっかりとした人でなければ、格言を書くことはできず、また合理的に考えても試みることはないだろう。 [フランシス・ベーコン『学問の推進』1605年]